こんにちは、院長の中川俊之です。この度はご来院いただきましてまことにありがとうございました。治療後のご様子はいかがでしょうか?これから何でも仰っていただけるような2人3脚の治療をさせて頂きたく、お手紙と致しました。
自己紹介
経歴
1971年、京都の生まれです。小さいころから中国や日本の古典や歴史が大好きでした。学生時代は読書と絵を書くこと、空手に熱中していました。その頃は、親のように警察官になりたいと考えていました。鍼灸は受けたことも無く、むしろ、古ぼけた印象を抱いていました。しかし、高校生のある日、どうしても鍼灸がしたくなり、他に何も見えなくなりました。若かったとはいえ、あの熱情を不思議に思いますが、今もその熱情は変わらず続いています。

■大学時代
鍼灸大学の4年間は、様々な所に見学や勉強に行ったのですが、どんくさい性格ですので、本質はつかめず、これでやっていけるのかという焦りが徐々に溜まっていきました。 そんな中、現在も行っている治療法(井上系経絡治療)と中国伝統医学の研究に出会ったのは大学3年の時です。東京に研究と臨床を実践している先生がいると聞き、受講しに行ったのが始まりです。初めて受けた半年間の基礎講座はほとんど解りませんでした。しかし、鍼灸は曖昧なものでは無く、明確な理論の組み立てが有る事に強い感動を覚えました。手順を追って勉強していけば、誰でも有効な治療が出来るこの井上系経絡治療を一生やっていくと決めた半年間でした。

■開業から現在まで
2000年に京都府八木町で開業致しましたが、当初は全く食べていける状態ではありませんでした。当初の考えがまるで甘いとすぐに知らされました。開業だけでは食べていけず、医院のバイトをかけもちしながら何とか生活を支えていました。毎日かなりの時間を勉強に割き、勉強会や学会にも出席しましたが、その努力と売り上げが全く比例しませんでした。
2007年9月、立ち退きをきっかけに思い切って京都市西院に移転することにしました。ここで、どうしたら自分の好きな鍼灸で食べて行けるのか、社会貢献が出来るのかを真剣に考えました。
そのお陰か、徐々に来院される方が増え始め、喜んで頂けるようになっています。鍼灸は、行い方、伝え方によっては、全く大きな可能性を秘めた仕事です。
2011年からは鍼灸中川は夫婦で運営をしております。鍼灸の臨床と研究を真剣に研鑽しています。私たちは、その成果を患者さんに貢献し続けたいと強く願っております。私も妻も、鍼灸師という道は選ぶべくして選んだ感じが強くします。強烈に真剣な趣味であり、最高に面白い天職です。

■未来
これから私のしたいことは、鍼灸院では患者さんとファンクラブを、家庭では大事なパートナーと家族を創っていくことです。様々な事が有ってもお互いに感謝し合える家族を創りたいと思っています。
私の唯一の強みは、決意したことは必ず実現させるという粘りです。
真に想い合える家族を創り、仕事を創っていく、と静かに決意をしております。
私たち鍼灸中川は、日本一の研究と最大限の熱情をもって、鍼灸の可能性を発信し続けます。
趣味
読 書 : ものすごく好きです。あまり買うと書棚がもちませんので、立ち読みでガマンすることも多いです。特に中国古典、歴史、ドキュメンタリーが好きです。
スポーツ : 沖縄の空手をしています。20数年やっていますが、いまだにボチボチの腕前です。
こんにちは。中川 芳里(なかがわ かおり)と申します。
2010年3月から鍼灸中川でお世話になっています。よろしくお願い申し上げます。
中川芳里ストーリー
当時、24歳の私は実家の呉服屋を手伝っていました。着物は1枚だと軽いのですが何十枚も箱に詰めて運ぶとなると、数十㎏にもなります。そんな重い箱を持ち続けたある日、坐骨神経痛になって歩けなくなってしましました。その時に整骨院を紹介され、そこの院長に治して頂いたのでした。
その後、縁あってその院長と結婚をして、主人の故郷である大分で整骨院を開業したのですが、ちょうど1年半で主人が心筋梗塞で帰らぬ人となってしまいました。たった1年半でしたが、有り難いことに2人で営んだ整骨院は、患者さんに支えられ右肩上がりに増え、毎日朝から晩まで時には休憩無しと言うことも。晩ご飯は夜の11時頃に食べる。と言うような生活でしたから、元々、消化器系の弱い私も身体を壊して入院をしました。その時、主人が私に「鍼灸師になったら?」と勧めたのでした。ですが、「鍼灸は上手な師に教えてもらわないとダメだ。」とも言っていました。
主人が亡くなって途方に暮れる日々が過ぎ、主人の両親が親身になって私のお世話をしてくれていた時、義母が突然、「かおりちゃん、鍼灸師になったら?」の言葉をかけてくれたのでした。その時に主人の「鍼灸師になったら?」の言葉を思い出し、一気に私の生きる道が開けたのです。その翌日、専門学校へパンフレットを取りに行き、義父に承諾を得たのでした。実の父には事後報告でしたが、何とか大分に留まることを了承してくれたのでした。
いざ勉強を始めてみると、鍼灸師がどんなものなのか全くわからないのです。沢山の本を読みあさり、悶々と悩む日々を過ごし、教員の治療を受けたり(7名いましたが皆、手技が違います)。そんな中、一人の教員が他の教員と全く違う手技で治療をするのです。その先生がその治療をするための勉強会に導いて下さった恩師であり、現在、私たちの行っている“井上系経絡治療”と言う手技です。その治療は、脈を診て、鍼を皮膚にあてるだけで全く痛くない。灸は温もりを感じたら取る。と言うような手技で、治療後は身体が軽く全体的にポワッと温かいのです。今までの私の鍼灸に対するイメージと全く違い衝撃を受け、危険な鍼灸のイメージを打破し、私もこの安心で安全な温もりを与える手技を学んで、広げたい!と強く思いました。
恩師の勧めで、京都で毎月開催される勉強会へ足繁く通い、初めての古典文献の研究発表を学会でさせて頂いたり、学生生活は学業と学業以外と勉強漬けの日々でした。後に、この学業以外の勉強が鍼灸師として本来しなければならない勉強だと気づかされます。この学びが患者様の安心に還元されると信じています。現在も毎月通い、毎年古典文献の研究発表をさせて頂いています。勉強にできた。と言うことはなく、気づかされることばかりです。 この勉強会の講師をしているのが現在、夫となる中川氏です。中川氏は私の鍼灸に対する情熱とこの治療に対する思いを受けて下さり、私の事情も承知の上で、人生のパートナーとして選んで下さいました。夫婦2人で京都は西院の治療院を営んでおりましたが、週一回、私は箕面にいる家族の治療をしに帰っており、お陰様で患者様が増えつつあり嬉しい限りです。夫と相談して箕面に分院を構える予定でしたが、妊娠していることが発覚したので延期することになりました。来年こそ分院を開業します!
鍼灸中川はこれからもあなたの鍼灸中川であり続けます。来て頂いている皆様への責任として、これからも鍼灸中川は発展拡大、質の向上と共に、気楽に来院できるフレンドリーな治療院を目指します。どうぞ末永くご愛顧のほどよろしくお願い致します。
鍼灸中川 中川芳里
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